パパへの手紙

パパへ。会った時に言おうとしていたことや、ふと気付いた時にパパへ思うことを綴る

その2 昨日パパへ電子書籍を贈った話

パパ、こんにちは。今日はブログを書き始めたということもあり出血大サービスで2記事書いております(笑)

 

昨日、パパに電子書籍であるキンドル製品を贈らせて頂きました。思いの外喜んでくれていたようで何より嬉しいです。贈ったのはキンドルオアシスという機種です。いくつか機種が出ていて世の中的に売れているのはキンドルペーパーホワイトという機種ですが、友人から借りて見てどう考えてもパパへ贈った機種が抜群だったのでそれに決めました。本当はパパの誕生日に合わせてプレゼントできると格好がよかったんですが、自分で使って見て本当に良いものかどうか見極めたかったので少し遅れました。

 

今回、なぜパパに電子書籍を贈ったのか。いくつか理由がありますが、あえていうなら「パパが今、読書を必要としている様に感じたから」です。何度か実家に帰る機会が会った時にちらほらパパが本を読んでいたり図書館に行ったりしている様子が散見されました。僕は、すごく良いことだなと思う反面、何となく選書に迷いがあるのではないかなぁという思いもありました。僕の認識ではパパもママもあまり本を読む人ではありません(笑)だってそもそも家に本がそんなにないし、なんか雑学ちっくな本ばかりだったから(笑)だから僕もそんなに本を読む子供ではありませんでした。

 

ただ、実家を出て生きていく上で、本を読む機会や、その魅力、もっと言えば良い書籍を教えてくれる友人に会うことに恵まれ、いつの間にか読書が好きになっていました。読んできた本の中にはバイブル的なものもあります。以前、「バイブル的な本が見つかるって良いなぁ」とパパがぼやいているのを耳にした時「僕のオススメ本を教えよう!」と嬉しくなったものです。ただ、実際のところ本のオススメを教えるのは難しいことだと思います。本を読むタイミングでその人がキャッチできる本の内容の濃さが変わってしまうからです。パパが登山の事を知りたいと思っている時に登山に関係のない本を教えて読んでも内容が心に刺さりません。だからオススメは難しい。

 

やはり自分で書籍を探すのが一番です。(もちろん、オススメはいつでも教えます!)そうなると本屋さんや図書館に行って探すしかありません。けれど行って見て気づくのは、どの本を読めば良いのかという事です。本屋さんは「売りたい」という商売もあるため良書が常に並んでいる訳ではありません。図書館は本の揃いが微妙なところがあるし、他の人が借りていたら読むまでに時間がかかります。だから電子書籍という選択肢をパパに追加してあげることが一番良いことかなと考えました。

 

僭越ながら、良書を選書するコツを下記に列挙します。

①自分の意見だけを書いていない本を選ぶこと

②本を読むより、人を読むこと

③悪書を読まないこと

 

簡単に解説しておきます。

①自分の意見だけを書いていない本を選ぶこと、について

自分だけの意見が書いてある本は独り善がりな内容であるとも言えます。色んな過去の名著から抜粋して自分の意見を積み上げている方の本の方が内容が非常に濃く、自分の血肉になっている言葉であることが明確にわかります。

 

②本を読むより、人を読むこと、について

何気なくとった本を読む時、「この本が自分にとってどうメリットがあるか」しか考えていない時がよくあります。ですがよく考えてみると本が人が書いたもの。読む前にどういう人生を歩んできたのか背景を少しだけでも調べると内容が入りやすいです。また、この人の文体や考え方はしっくりくるなと感じたら、その分野の本ではなく、その人の本を分野が違っても読む方が身になります。

 

③悪書を読まないこと、について

これができれば、バイブル的な書籍は割と自分に引き寄せられるかのように選べるようになってきます。まずはショウペンハウエルの「読書について」、セネカの「人生の短さについて」を読めば良いと思います。有限な時間をどう行った本に捧げるべきなのか。よくわかります。

 

今日はこの辺で、電子書籍ライフを楽しんでくれると何よりです。

その1 パパへの手紙

パパ、こんにちは。何というか、どういう書き出しをしようか迷います。普段であればスラスラと書きたいことや、そのための文章構成が頭に浮かぶものですが父親へ綴る内容とくると恥ずかしさからなのか上手にできそうにありません(笑)なので気楽に読み進めてください。また「ふ〜ん」くらいでも結構です。

 

このブログでは、パパへ伝えいたなと感じることや、僕がパパに対して感じていたことなどを綴る場にしたいと思って作りました。なぜそんなことを考えて行動に移したかというと、「意外に家族と向き合ってきた時間が少ないのでは?」と疑問に思うようになったからです。パパの子供として生まれてきて早30年が経ちました。けれど物凄い大げんかをパパとした記憶もなく、親子の確執がある訳ではなく平穏に育ってきた感があります。正面から向き合ってなかった訳ではありませんが「あれ??意外とそういう時間って少ない?」「パパに対して何を感じて生きてきたのかな?」と考えるようになりました。そんな経緯もあって、なら自分から積極的にちょこちょこ綴ってみようと考えた訳です。